shuhuugoo’s blog

等身大の 心の旅 ~自己観察 家族観察 いのちの観察~

心の断捨離エッセイ


      

 『角度』

 

 信仰心が特別あつい訳ではない。

 

こぼさないように、水神さんの水を入れ替える。朝一番のつま先立ちは不安定だ。毎1日には小皿を下げ、米と塩を供え替える。何をお願いするでもない。

 「いつもありがとうございます。」

 それだけ。

 ホームセンターで買った30㎝四方の薄い板。手作りの神棚の前に立つと、一日が始まる。

 

都合の良い私がもう一人、テレビ台の左側にトンと座る。大阪通天閣にも座っている福の神。『ビリケンさん』のふっくらとした足の裏が垂直に迫る。撫でると喜ぶらしい。久しく触れていなかったから、うっすら埃をかぶっていた。ビリケンさんは、自分自身なのだとか。迷信じみた言葉が気になるタイミングは少なくない。白の衣装を模した陶器製の手のひらサイズ。色白さんがひんやりと口角をあげる。両手に包み埃を拭った。

ザラッとした厚みを詫びた。

 「ごめんね」

どこから見ても笑っている。これだけは不思議でたまらない。両目はつり上がり、眉間には2本の縦ジワもあるのに、だ。

定位置に戻して、少し離れてみる。斜めの位置から眺め、上からも見下ろした。下から覗き込んだあたりでハッとした。私が私を探っている。

 「何これ…」

こぼれた声を追うように、ニヤけた顔が止まらない。私も定位置に戻り、今度は真正面から見つめた。久々に向き合えた気がする。頬の膨らみと低い鼻。僅かに弧を描く細目に 、愛着さえ覚える。笑っているのに消えない縦ジワは決定的だ。もう30年も笑顔だ。

母の神頼み的な買い物は、娘を心配する御守りだった。手を焼かせた大学時代がじわじわとよみがえる。喉元が熱くなり、溢れそうな涙を慌てて止めた。もう一度、真正面から見てみる。少し勇気が要った。なぜなら、見る人によっては不気味だから。これが自分自身だと言うならば尚更だ。

ビリケンさんは笑っている。科学的であってもなくてもいい。360度の笑みが私を楽にさせた。実家がある方角に手を合わせた。

 

自宅療養が始まって2作目のものです。

盆正月休みなく、がむしゃらに働いていて、久しぶりにゆったり過ごし始めたある朝の、居間でのひとときを切り取りました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

心のリハビリのためにも、大切な作業となっております。不定期ですがこれからも載せてゆく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

 

(2019.8.11 改行箇所修正)