シュフウグーの 主婦エッセイ

等身大の 心の旅 ~自己観察 家族観察 いのちの観察~

義母のアル中&認知症

 

義母は認知症を患っている

後から辿るに 私が息子を連れて嫁いだときには既に発症していたのだろう

嫁ぐ際 夫にしっかり確認しないままそうなるものとして同居となったのは12年前の話だが まず価値観や生活環境のギャップの大きさに硬いバリアを張った

嫁いだからにはその家の色に染まるのが賢い妻なのかも知れない 時代錯誤とも取られるこの感覚がこの家ではバリバリ現役だった

親しき仲にも礼儀ありと言われ過ごしてきた40前の私が 嫁いだ途端「その敬語やめてくれ!」と食卓で口を揃えて言われたのには驚いた

どうも 他人行儀な空気を醸す私を受け付けなかったらしいのだ

人と接するとき 自分がその都度察した距離でまず境界線を引きたいのが私だ

あまり親しくなりすぎるのは得意ではないし ましてや人の心に土足でズカズカ入り込むような口調の人が会話の相手なら その人は私の中では「品のない人」の部類に振り分けられる

到底染まりそうもない嫁の頑なな振る舞いに 義父も義母も可愛げの無い嫁だと思っていたようだが 言われたことは「忠実に」守った ぎこちないタメ口をきちんと使ったさぞ心地悪かっただろう

日々の食卓は そう時間もかからず忍耐の場となった 常に笑顔でだ

義母と並ぶ台所も同じく 時折つぶやく義母の一言に背筋が凍った

「しゅふこさんはいつもニコニコして何でもハイって返事してくれるから楽やわ」

ある意味嫁の努めはできているようだと一部分だけ心を鎮めた

夫は言うまでも無く義父も義母も毎日晩酌をする 夕方6時には座り大概3時間コースで3人とも千鳥足になり散ってゆくのだが 私はアルコールが嫌いなのでただじっと座って笑顔を固めて毎日同じ話を聞き 三人ともビールを2~3缶ずつ空けたあと焼酎の湯割りをズルズルとすすり出すので ポットのお湯がゴボゴボっとなり始める前ぐらいに台所へお湯を沸かしに立ち そのうちに焼酎の瓶も空っぽになるとそれも台所へ持って行っては4リットル入りのペットボトルから継ぎ足すのが流れになっていた

3人が散っていくタイミングは 大概退屈になりすぎてしびれを切らした息子がもう寝ると告げてくる時だ 当時小学6年生から中学生になる心も繊細であろう時期だったはずだが 息子は幼いときから私よりも周りを察することができていた人でずっとずっと大人だった 何せ母親の行動するままに否応なくついて行くのだから

罰当たりな母親だ

テープレコーダーを流しているような地獄の食卓につかまったのも自業自得なのだ この家には未来に向かうワクワクするような話題はないのかと 完全に覚えた会話のやりとりの中思っていたが ワクワクする話題は旅行や外食の予定 それだけだった 私には収穫のない話でワクワクの意味が全く違った

 

田舎にはまだ ご近所さんへのお披露目で自宅に招待し食事や酒を振る舞うことがある 一応披露宴なのだろう 籍を入れて数日後の日取りで実行し当然実家から両親もきた 粗相のないよう 今では時代遅れのお酌を一人一人にして挨拶に回った

途中でお酒を足しに台所へ移動するのだが その度に義母の前の長テーブルに350㎖のビールの空き缶が増えてゆくのを目の当たりにし 7本目の頃には近くの席の母の表情が何を言わんとしているか 娘の私には当然伝わった

2時間ほどでなんとなく宴もたけなわですがと聞こえてきそうな空気になり やがて皆立ち上がり部屋は後片付けができる状態の無音の場となった

トレイを取りに台所に移ると千鳥足で人が変わったようにブツブツと文句を言っている義母の姿があった 既にこのときは発症していたであろう認知症の初期症状あたりだ

完全に外にも人がいなくなり両親も帰った後 それを確認し義母はベッドにそのまま倒れ込んだ この日は特別だとすっかり思い込んでいた私は これが日常であるという事実をまだ知るよしもなかったのだ

また たとえ夫の母といえど その姿が「醜態」以外の何であるのかと強い嫌悪感を覚えたのもこの時期だ

以後 台所では会話がかみ合わないことが多々あり 明日のお米を仕掛けておこうと炊飯器に手をやりかけるとお米はさっき仕掛けたからと止めに入るが 洗い物がすべて終わりタイマーを掛けようと確認で炊飯器を空けてみると空っぽだった日は数え切れない

地域のゴミステーションに当番で義父義母そろって先に出掛け 私が最後に仕事へ向かおうと戸締まりをして家を後にした日 途中にゴミステーションがあり車を止めて「一応戸締まりはしてきたけど鍵を渡しておこうか」と聞くと 突然地域の皆さんの前で「鍵を閉めたら入れないじゃない!どうやって入るの!!」と激しく攻められた事があり これには義父も慌てて「鍵は持っているからそのまま仕事に行け」と言ってきた

これも後で辿ると認知症の症状が手伝っていたのだと思うが性格もあったようだ

人一倍戸締まりにはうるさかったので しかし一応確認しておこうと立ち寄ったのが予想外の空気を作り出し ご近所さんも苦笑いをされていたのを思い出す

何もかもが違いすぎる生活は これまでの私の行動をそれ見たことかとあざけ笑うように容赦なく私を試した

一番の犠牲者は息子だというのに 私は罰当たりな母親だ

同居を始めて2年が過ぎた頃の朝 私は離れの2階から降りることができなくなった 母屋で過ごす顔だけ笑った身体ガチゴチの私が助けを求めていたのに ようやく聞いてやれたのがその形だ

気を遣いすぎる性格と その時には誰も気にとめなかった義母の認知症が 家庭に馴染めない苦しみに拍車をかけた

「魔の食卓」…今でも思う

認知症のご家族がおありの方ならおわかりいただけると思う 今言ったことを30秒後に初めて発した言葉のように投げかけてくるのだ 延々と…

おおかた発症していることを当初から疑っていた私にも責任がある 告げてあげれば良かったのだ「お義母さん 少し様子がおかしくない」とか

まだ不思議なのは 義母が延々と繰り返す同じ会話に 毎回同じ箇所でそれに続いて義父と夫が話を繰り広げることだ ほぼ思い出話で相づちやツッコミどころのタイミングも言葉も同じ これには参ったし完全に覚えた 両手で足りるほどしか話題がないのだから

3人ともトイレに立つ時はふらふらで 息子に見せたくない光景が毎日目の前にあり ただただ申し訳なくどうしようもなかった

離れの2階に籠もってからは心が日に日に壊れていったが ひと月後にはカルチャー教室の開講も迫っていたため 過呼吸と涙が止まらない症状の改善策を必死で探した

正常の私に近づくため 心療内科を見つけるのにそう時間はかからなかったが 重症化していたのか 人の声・ちょっとした音・漂ってくる匂い・眩しくさす光…どんな刺激にも涙腺が大きく反応し 所構わず涙がこぼれていたのには私も止めようがなかった

「適応障害」

人は 症状に病名がつくとそれだけで安心するらしいが私も例外ではないようだ

落ち着くまで1年かかったが 少し間をおいて再発し同居が苦しいことを夫にようやく告げた 近所の目もありためらっていた夫だが 一緒に暮らし始め丸3年が経った頃 ようやく今の住宅に移り住む決意を示してくれた (つづく)

 

 

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次回 更なる「つとめ」を教えられることとなります。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

次回のお越しをおまちしております。

 

shuhuugoo

 

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