シュフウグーの 主婦エッセイ

等身大の 心の旅 ~自己観察 家族観察 いのちの観察~

義母のアル中&認知症(続編)

土に触れることで心に光が差すよう向けてくれたのは母だった

兄の事業立ち上げのタイミングと同時期だったため 日中籠もっていらぬことを考えなくてもいいぐらい農作業でクタクタになってみれば気持ちも軽くなるんじゃないかとの一石二鳥の案で 教室のない日はほぼ毎日実家の田畑を手伝った その延長線上に夫の脱サラ農業があるのだ

 

今の自宅に移り住むことが決まってからは 手続きや引っ越し作業をほぼ一人で進めた

どこにそんなエネルギーがあったのか 嫁ぐ際に実家に置きっぱなしだった婚礼家具も積み卸しだけを母に手伝ってもらい 着々とレイアウトを仕上げた 雪の降る年の瀬だ

まだ勤め先を持っていた夫が夕方帰ってくる度に箱になっていく離れの部屋 風を巻き上げぬよう静かに事を進めていく嫁の心中を 義父も義母も黙って見ているしかなかったようだ

築30年以上のこの住宅が私には城で 息子にも高校時代を一人部屋で過ごさせることができた それだけがささやかな償いのように思える

 

株式会社として本格始動した実家のメンバーに代わり農作業を私が引き受けることになった経緯があり 3反5畝の畑の管理を任された私はおおかたの農機具も操作し 年間の計画を細かく立て 日替わりで収穫物を兄の会社に出荷 従業員も増え定期的に会議にも出た 現場側の意見も吸い上げたいとの兄の考えだ 兄は会議が大好きだ

任されて3年目を迎えた頃 よほど楽しそうに見えたのか夫が農業をしたいと言ってきた そんなに甘いものではないことに今頃気付かされているかどうかは置いといて 覚悟を確認したのち半年ほど二人で行動した

この間 義母の状態は悪化していき 夜中に何度も呼び出されることになる

夫が晩酌を抜く日など皆無で 必然的に運転は私がすることになるから二人揃って駆けつける 身内というものは家族の「認知症」を認めたくないものなのだろうか 診てもらった方がいいとすすめても 誰もなかなか動かないのも理解しづらいこの家の特徴だった

その後受診を決断し通院もたまにできていたが「先生!私にはお酒が薬なんです!」と担当医に喧嘩腰で投薬を嫌がり 処方された薬もすべて本人が捨てていた

認知症の進行を抑える薬も飲まなければどんどん重症化していく いよいよ義父もたまらなくなり 義母を置いてパチンコに明け暮れる行動が目立ち始める

時々様子を見に行くと 缶ビール片手に台所のシンクに寄っかかっている義母がいた 義母は運転免許を持たせてもらえなかったことをずっと恨んでいたようだ

すべてがエスカレートしていた

畑に行く支度をして外に出ると義母が一人で立っている時もあった 義父が連れてきては黙って義母を降ろしパチンコに行ってしまうのだ 義母もなぜそこに降ろされたのか意味が分からない状態で 家に上げてお茶を出すと遊びに来たぐらいにすり替わっていた

こんな日の義父は携帯電話の電源を切り夜まで帰ってこないから 義母を一人きりにさせるわけにもいかず ある日などは義母が言葉を続ける「九州に帰りたい」を実行したこともあった 行ったら行ったで「お父さん(義父)が心配だから帰る 何しに来たの」となり トンボ返りの道中も20~30秒ごとに同じ意味の言葉を放つのが承知の上での行動だった

義母の排泄が思うようにいかなくなったのもこの頃で 酔って千鳥足で寝室に向かうその後を ジョボジョボと尿浸しになる床を拭きながら追った日も珍しくない

義父の「妻置き去り」はその後も重なり ついに義母に通帳を持たせて降ろした 「俺はもう知らない どこにでも行ってしまえ」と言う義父の限界のサインでもあり 当然携帯電話も通じないので何かあってはいけないと心当たりの場所をさがして回った 農業の計画どころではなくなった

私のもう一方の仕事柄 病院も役所も顔なじみが多かったことも手伝い この一連に関しての連絡はとりやすかった 「お義父さんのほうが心配ですね」となり 緊急で義母を入院させることになったが 義母も訳が分からぬままの入院で少々暴れたため 診察室から連れて行かれるときは男性スタッフ二人がかりでの移動となった 慣れたものだ

面会は可能だったが 当初は鍵をかけられた部屋で過ごすほど荒れていたため私は週二回の洗濯物入れ替えだけにとどめ通うことになった 着替えもすべて病院のセットを頼めばスマートなのだが 入院代が高すぎるとの義父からの要望で衣類の洗濯だけは嫁らしいことをしていた もちろん200㎞を走り回っていた当時も合間をみて…

汚物のついた衣類を洗濯するのには限界があった 専用に大きめのバケツを購入し もみ洗いや漂白つけ置きを繰り返し試みたが落ちるものではなかった

衛生上良くないとのことを聞き その後は便が付着した衣類は買い換えて持っていくことにした

すべての作業は「天のお試し」なのだと言い聞かせ 同時に在宅で介護しているご家族もたくさんいらっしゃるのだと その現実に自分を省みた

 

入院して1年半 病院のスタッフさんからチラホラと別施設への入所をすすめられるようになり 手を焼かせて困っている様子もうかがえた 話が上がり始め半年ほど掛かっただろうか 今は別の介護施設に入所していて洗濯物の心配もしなくて良くなったが 代わりに義母の様子をまったく意識しない生活となっている

義父は相変わらずマイペースで お盆に行った時などは「暇すぎて競艇のチケット売り場で一日遊んでいる」と言っていた なんと言うことだ 怒りがこみ上げ心が固まった私は その場にいられなくなり一旦自宅に引いたのだ 

夫婦とは何なのだろう

私はどこで踏み外したのだろう 踏み外したのか これが私の階層なのか

与えられた今を幸せと思えるって 何なのだろう

夫が高校生の頃 妹と弟の面倒を見させては両親二人で泊まりがけの旅行をしていたこともしばしばあったと聞く

義母も姉御肌の気の強い性格だが 戦争で両手と視力を失った舅の世話を最後までしたという話も毎日聞いていた

妻と存分に楽しみ 妻の懸命な姿に安堵し 妻が不憫に思えたら突き放すのか…一見都合の良い男の性(さが)とも受け取りたくなるが それは世の男性に対して失礼だし義父の性格故だと思いたい私もいる

一方で間違いないのは 夫にも義父の血が流れていると言うことだ

アルコールやタバコは自分の意思でやめることができるが 認知症は事が違う 特別視することでもないし誰が罹るか分からないのだ

介護する側の苦悩も相当なものだが 少なくとも長年ともに過ごしてきたパートナーを置いて行方をくらます人にはなりたくない

 

義母のアルコール中毒と複合型認知症に少なからず携わってきて 傷つき 学び 行動した

すべてを見てきた息子がどのように吸収し咀嚼し肥やしにするのか否かは知れないが 家族をしっかり包める人であって欲しいと切に願うのだ

 

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前回から2回に分け家族の実態を載せさせていただきました。触れづらい内容なのか 皆様の反応は静かなものでした(笑)

認知症はもっと辛いことを辛いと 大変なことを大変だと おおっぴらにして苦悩を共有すべきだと思います。

悲観的な部分も見え隠れした記事ですが 素直な気持ちでつづりました。

 

今回も長文お読みいただきありがとうごいます。

次回のお越しをお待ちしております。

 

shuhuugoo

 

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