シュフウグーの 主婦エッセイ

等身大の 心の旅 ~自己観察 家族観察 いのちの観察~

からだの歪みが隠せない「書」

 

ある知人から、随分長い間お借りしている一冊がある。

 

「歌仙絵 百人一首(かせんえ ひゃくにんいっしゅ)」

 

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著者は 表紙を開いた左側にある↓

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かなり日焼けしてしまっていて心が痛むが、当時「市販されていないから…」と大切に扱うように釘を刺されていたので今一度調べてみると、少しお高くなってはいるが、あった。

アトリエ百華想のページだ。

 

hyakuninisshu.o.oo7.jp

 

そのページには「私は世界で ただひとりの歌仙絵師 崇石あがめいしです」とある。

 

名前が違う。なにか使い分けのようなものでもあるのか。それとも改名か…。

 

書物に詳しくないと、既にこのようなところで躓いてしまうが、その恥を飛び越えてこの本は美しすぎる。見栄えはさることながら、構成が面白すぎる。

 

これ以上は内容に触れないように細心の注意を払いたいが、何のためにそれほどまでにして借り続けているのか、理由がある。

 

文字の練習だ。

 

くずし字ではなく、真似でもなく、歌と挿絵と解説に目を通した後の「わたしの文字」を練習するのだ。

 

時間がまたできて、素直に嬉しい。

 

 

 

同時に、やはりからだの歪みが映し出されていると再確認できる。

 

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一目で朱の中心線を入れられそうだ。かなり曲がっている。これは私の背骨だ。

 

「わたし流」を積み上げるべく、色も楽しみたいところだが、「書」の枠を飛び出す以前の問題が明確になりつつあるので、五十音から見つめてみるか…。

 

 

 

 

 

 

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んー…。不安定で頼りない。

 

そして、なぜ、「ゐ」「ゑ」を端折ったのだろう。あー…時々ある。まあいいか、の悪い癖。開けてみると案外大きなミスだったりする。

 

無くなりそうな黒のインクを、最後の一文字の直前に付け替える辺りは、ギリギリのところで何とか切り抜けた感じを出そうとする、私の生き方だ。

 

綴った文字を眺めていると、自らの前進につながっていて滑稽なのに楽しい。

 

 

そして、忘れてはいけない。 

 

歌人の春道列樹(はるみちのつらき)氏に断りの想いが届いていて欲しい。


(~920年)とあるので、遠い遠い届かぬ想いか…。

「やまがわに かぜのかけたる しがらみは ながれもあえぬ もみじなりけり」

 

使わせていただいておきながら、解説が無いと想いを馳せることすらできないのは文字を綴るうえで大きな難だ。

 

特別「百人一首」というものに興味があるわけでもなかったが、これを機に、小倉山の秋を脳に嗅ぎながら、男歌人79人、女歌人21人のひとつひとつに寄り添ってみるのも良さそうだ。

 

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知人の自称「プロデューサー」おじさま(笑)から借りっぱなしの本が、目の肥やしになり、文字の練習のきっかけにもなっています。10年以上お会いしてなくて、まさかこの本の存在を忘れてはいらっしゃらないと思いますが、随分変色させてしまいました(汗)

改めて自分で購入したいほど、目を奪われる一冊です。

からだの歪みにもウェイトを置きたかったのですが、本が美しすぎてそっちのけになってしまいました。

お粗末記事、ご容赦を(^_^;)m(_ _)m

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

 

次回のお越しもお待ちしております。

 

シュフウグー

 

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